コンサバ主婦のひまつぶし

国際関係とか動画の感想とか。

だから戦後が終わらない😭

とうとう天皇陛下が一度も靖国にご参拝(行幸?)されないまま平成が終わりましたね。

猪瀬直樹さんが『東条英機処刑の日』について(だったと思う)

「敗戦後、アメリカ人の家庭教師にジミーと呼ばれていた今上陛下の、15歳の誕生日だった昭和23年12月23日の早暁に連合軍は7人の永久戦犯を次々に死刑に処した。誕生日にそれを聞いた少年が、即位しても一生その日を忘れないように。彼が即位すればその日は天皇誕生日として国民の祝日になる。アメリカに戦争を仕掛けた当事者の処刑された人を国民に祝わせる。それがGHQの狙いだった

みたいなことをおっしゃっていて、

www.maesaka-toshiyuki.com

今上陛下の一種異様な腰の低さ(外国人から見ると卑屈にも見える)の原因はそれか〜と納得した覚えがあります。

キリスト教徒の女性と結婚され、頑なに靖國神社に背を向けておられるのも占領軍の戦略通りなのかもしれません。

沖縄やサイパンへの慰霊を拝見すると、陛下の戦没者へのお気持ちは真摯なもので、靖國に行けないのは政治的な圧力によるものだと思います。

ただ、靖國に陛下がいらっしゃるということはそれだけシンボリックなことだったとも思う。

 

 

このあんまり覚えてないんですけど、こういうヘッドラインを読んで↓気分が悪かったです。

www.tokyo-np.co.jp

海外に住んでいると、毎日ニュースでドンパチやっているので全然平成も平和な時代って感じじゃないですからね。

一国平和主義というか、日本人の平和ボケを天皇陛下自ら体現しているのか、とすごくショックでした。

でも、東京新聞の得意の偏向報道かもしれないので全文を探してみました。

www.nikkei.com

この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年(1959年)、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年(89年)の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年(52年)、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス2世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年(53年)に奄美群島の復帰が、昭和43年(68年)に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年(72年)に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。

そして、戦後60年サイパン島を、戦後70年にパラオペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。平成3年(91年)の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年(93年)の北海道南西沖地震奥尻島津波被害に始まり、平成7年(95年)の阪神・淡路大震災平成23年(2011年)の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。

青年期に半年外遊され、キリスト教徒の嫁をもらったことも(皇后さまはもちろん良い方だと思いますが)、『平和』『戦争をしない』連呼も、11歳で終戦を迎え、18歳までに濃縮された占領軍の洗脳を受けた連合軍の成果かもしれないと思ってしまう。

この会見が批判を受けたからか、30周年式典でのお言葉は少し色が違いました。

www.sankei.com

ご在位30年式典のお言葉にも通じるものがあると思います。

平成の三十年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智(えいち)を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。

(世界に)戦争がなかった→(日本が)戦争を経験しなかった

に変えてらっしゃる。 

十人きょうだいだった亡くなった祖父の兄弟は五人までが戦死したそうです。

戦前は子だくさんとはいえ、親も無駄死にさせるために産んだわけはないでしょう?

今の90代〜100歳代の女性は同年代の男性がことごとく亡くなり、圧倒的な数の不均衡のために未婚のまま亡くなった方、若くして未亡人になった方も多かったと思います。

祖父母の兄弟達もあるいは未婚のまま、あるいは妻子を置いて亡くなったようです。

祖母の兄は一人息子だったのに戦死された(辛うじて子供はいた)です。

今もお葬式や法事の話を両親に聞いたり、親戚にお会いしたりすると、そんなことを思い出します。

 

結果的に負けたからといって『間違った戦争』扱いされ、参拝するだけで『悪者』扱いされ今上陛下には黙殺された靖國神社

『国のため』と思って戦った人たちが靖國には眠っているんです。

もうすぐ上皇になられる今上陛下が在位30年間一度も靖國に足を運ばなかったのは彼の立場上の理由でもなんでもなく、彼の『信念』『意志』の問題だと思います。

だって、生前退位や譲位だってやろうと思えば実行したんです。

譲位前最後のお父様のお誕生日である4月29日に参拝されるかもしれないって期待していましたが、何もなくてとてもがっかりしました。

『戦後』にけじめをつける意味でも、是非陛下に参拝して頂きたかった。

天皇陛下は誰よりも敗戦について考え、苦しんで来られた方だと思うので責めたくはないですが、

我が国の象徴たる陛下がこの調子なんですから、『戦後』が終わらないのは必然

 だよなぁと思わざるを得ないのが残念です😢

 

vimeo.com

必敗のシュミレーションが出来ていたのにズルズルと戦争に突入してしまう

昭和16年夏の敗戦』

も読んでみたいです。

30年間世界で負け続けた上に少子高齢化でさらなる負けが確定しているのに、オリンピックを誘致したり令和なんていう『美しい国元号をつけてしまう今の日本にも似てる。

元号好きなだけに政府の無策が残念です。

 

それでもやっぱり、他の誰でもなくこの方が日本にいてくださって良かったと思っています。

陛下、お疲れ様でした。

www.youtube.com

皇后さまも、本当にありがとうございました。

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