中東人はダンスナンバーがお好き?💃③(INNAのYallaとイスラームのアラビア語フェティシズム)
どうもこんにちは💁
いくつも中東政治関係の書きかけエントリーが溜まっているのですが、乗りかけた船なのでもう一つだけINNAのYallaで書きます。
INNAのYallaというのはルーマニア人の歌手INNAが英語とアラビア語半々で歌うこんな曲↓です。
これまでのエントリーはこちら↓
その2↓
ざっくり言うと、INNAのYallaがブレイクしたきっかけとして
①オスマン帝国以来の、キリスト教徒に踊らせてムラムラする伝統(主にトルコ)
②イスラム教以前からの舞踊の伝統(インド・イラン・アラブ諸国)
の二つをご紹介しましたが、他にも、
③Yallaは歌詞が英語とアラビア語←非アラブ諸国においても、イスラム教徒の一定程度の人は英語は言わずもがな、片言でもアラビア語が分かる
というのがあります。
Yallaは2015年の曲ですが、INNAはイスラム圏のアラビア語フェティシズムに目をつけていたのか、2012年のカタール、ドーハでのライブで既にアラビア語で歌ってみせて喝采を浴びています。
男性の野太い声援が😂
アイドルやなぁ〜💗
日本人でも、漢字も読めない幼児が般若心経を暗唱できたりしますよね?
「門前の小僧習わぬ経を読む」
という諺がありますが、実際小学校も出てない、自分の名前も書けないようなエリトリアの女性なんかが、片言のアラビア語でシリア人(シリア人は他のアラブ諸国の人に比べて外国語が不自由な人が多いですが、アラビア語には自信があるらしく、アラブ人同士でいるとかなり偉そう?)と喋っていたり、喋らないまでも、アラビア語の冗談に笑ったりします。
シリア人のアラビア語を喋るときの妙な自信は、
数々の王朝の栄枯盛衰を経て、
ダマスカスとバグダッドは都市アラブの二大中心地
だったというのがやはりあるのではないかと思います。
北アフリカのママ友なんかは、外国人の前でアラビア語を喋るのを嫌がります。アルジェリア同士やアルジェリアとチュニジア間ならアラビア語で喋っているのも見かけますが、モロッコに旅行に行ってもフランス語で通したりするらしい(スペイン〜モロッコ経由で帰るときなど)。
青森の八戸の人が山形の庄内に行ったときに標準語を話すようなもの(?)だと思います。
アラビア語とその方言に関しては、地域によって膨大なバリエーションがあるようで(北アフリカのママ友たちによると)、言語学が好きな人なら面白くてたまらないんだおるけれども、言語として勉強するには相当難儀だろうなぁ😅
なんでも、まずフスハー(漢文書き下しの文語文みたいなものでしょうか?)を学んでから各国の口語を学ぶ必要があるとか。大学で所謂アラビア語っていうのはフスハーなんだそうです。
日本語を学んだ外国人が日本に来て
「いずれのおほんときにか」
って言いだすのを想像しますね👘
そんな難儀なアラビア語ですが、イスラム世界出身の非アラブ人のムスリムは、自言語の読み書きさえ出来なくても、耳で聞いたら結構分かります。
「神からの啓示なので翻訳してはいけない」
そうで、非アラビア語圏でもそのままアラビア語で読み上げられるのでいつの間にか耳馴染みになるようです。
街中のモスクから一日5回アザーンが聞こえてくる。それがインドネシアでもイラン(ペルシャ語圏)でもトルコでもエリトリアでもアラビア語で流れるのでアラビア語の響きには馴染みが出来てしまうようです。
神は偉大なり
みなさん、お祈りにいらっしゃい
神は偉大なり
みんなでお祈りしましょう
みたいな内容らしいです。電車の車内アナウンスなんかを毎日通勤中に聞いていたら知らない言語でも耳についちゃうような感じでしょうか?
アザーンって確かに綺麗ですよね。評判の美声の持ち主が選ばれるそうで朗々と歌い上げて素敵だなと思う反面、うるさそうだなぁと思いますね。
ヨーロッパに住んでいても毎15分教会の鐘が鳴るけれど、住んでたら慣れるから(外出中は鐘の音で時間を把握することもしばしば)慣れるのかなぁ。
イランのAzan(アザーン)
アラブ人の中でも、旧仏領マグレブ系は学校教育がフランス語優勢なため(?ママ友に聞いたことがある気がするけどうろ覚え)、所謂標準アラビア語であるフスハーは喋る・書く・読むはあまりできず、主言語はフランス語っていう人もいる(国によってはほとんどそう?)みたいです。そういう人も、フスハーは聞いたらちゃんと分かるらしい。
イスラム教開祖のムハンマドも字が読めない・書けない人だったけれども現代まで語り継がれ読み継がれる大著作がある(ムスリムにとっては神の啓示だから著作ではないんだろうけれども)わけだし、すごくVocal(phonetique)な言語なんだろうなぁと思う一方で、そんな言語で毎日5回町中にお祈りを呼びかけるというのは大変なことだなぁとも思います。
音は空間を支配しますからね。
イスラム教の町では、文字通り、『神(アッラー)』から逃げられない😓
そして、ムスリムである以上、アラビア語から逃げられない、というか、避けて通れないわけです。
イスラム教が内包するアラビア語フェティシズムをサウジアラビアの広報機関兼大使館管轄のアラブイスラーム学院という存在だと思います。
プロモートするということです。
実際には(特に日本や西洋諸国では)、ビジネスや歴史学・地政学、ちょっとした好奇心など、イスラームと関係なくアラビア語を学びたい①に該当する人が圧倒的多数なはずですが、アラビア語を学ぼうとするとバーターでイスラームまで付いてくるわけです。
まあこれは、日本語学校で折り紙を教えたり、東京フランス学院でフランス映画を観せたり、孔子学院で中国語と儒教(中華思想?)を学ばせたりするのでまあ、よくあることといえばよくあること(?)なのかもしれませんが、ちょっと引っかかる部分もあります。
某有名大学のムスリム教授が女子大生を『洗脳』事件もありましたが、D志社大学のイスラム法学者某元教授のお弟子さん(キリスト教の牧師の息子)がムスリムになってしまって。。というのも
イスラム教の厄介なところは
『思想』
だということに尽きます。(これはまた別エントリーで書きたい)
アラブ・イスラーム学院の何を知っているわけでもないけれどもアラビア語を学ぶと共に思想まで押し付けられると思うと結構敷居が高いですよね。
アラビア語=イスラームのフェティシズムは日本人が犠牲になったので(珍しく?)日本でも話題になった(らしい←わたしは最近知った😅)バングラデシュはダッカのテロ事件でも見受けられたと思います。
『イスラム国』に便乗した犯人グループは人質にアラビア語のコーランの暗唱をさせ、暗唱出来た人は解放された。という報道がありました(ので、主に非イスラム諸国の外国人が犠牲になった)。
また、日本ではマウテ兄弟として知られるフィリピンのイスラム過激派ゲリラのアブドゥッラー・マウテとオマル・マウテの兄弟ですが元々は二人ともフィリピン人の出稼ぎ労働者としてUAE(とシリア)で働いていたとか、アブドゥッラー・マウテの方はヨルダンに留学していたとも言われているようです。
子供にオマルとかアブドゥッラーとかアラビア語の名前をつけるあたりで察せられる通り、お父さんもモロイスラム解放戦線の闘士だったようです(カルトの二世と同じ?)。
7人の兄弟がいて、その全員が政府軍との戦闘で死んでしまったらしく、同じ親としてはお気の毒と思う反面、このお父さんの場合、自らのイスラム革命思想に息子たちが殉じたことで満足してるのかもしれないと思うと、やっぱりカルトって怖いなぁ😓
ムスリムのママ友はたくさんいるし、伝統的な価値観を大切にする選りすぐりの美人妻ばかりで大好きだし、イスラームがカルトってわけじゃないことは分かってるんだけど、思想的な問題で、ムスリムは付き合いにかなり気を遣うことも確かなんですよね(この辺は別のエントリーで書きたい)😓
エジプトでウイグル人が大量拘束された事件も、わたし的には印象に残りました。
拘束されたのは少なくとも62人に上り、弁護士や家族との接見も禁じられたという。留学生の一部はカイロにあるイスラム教スンニ派の最高権威機関アズハルで学んでおり、HRWは今月7日、エジプト政府に送還中止を働きかけるよう求める書簡をアズハルのタイエブ総長に送付した。
その後、在エジプトウイグル人が数千人単位でエジプトを出国し、一部はトルコに保護されたっていう話もあり、
そんなに多くのウイグル人がはるばる中国から出て、遠く離れたエジプトでアラビア語と、そして一部はスンニ派の最高権威機関アズハルでスンニ派イスラム教を学んでいるという事実に驚きました。
フィリピンやウイグル人のケースの場合、気になるのは留学経費となるお金の出所です。
まさか、実質上鎖国してる(ので留学生は受け入れられない)某スンニ派大国じゃないよね?😂
某国の積極的関与(?)によるアラブ=イスラーム路線のアラビア語フェティシズムをご紹介しましたが、オスマン帝国のお膝元であったトルコの場合はさらに複雑です。
元々オスマン帝国はオスマン語という現在のトルコ語の文法構造の上にアラビア語とペルシャ語の外来語をふんだんに使用した難解な言語を使っていたらしいのですが、ほとんどそれは少数のエリート官僚や学者用の文書言語であったため、オスマン帝国がトルコ共和国になる過程でケマル・アタトゥルク主導でトルコの言語純化運動というものが起こり(日本の明治維新のときに『日本語』が出来たのと似ていますね)ペルシャ語やアラビア語の外来語が徹底的似排除された挙句、書き文字もアラビア語→アルファベットに変わったという経緯があります。
元々日常語にはアラビア語が強い地域だったのに(現在でもトルコの南東の辺縁はアラブ人地域)、アラビア語排除のためにわざわざウイグルやキルギスなどの類縁トゥルク系言語から単語をもらってきて新しく定めたりしたらしい。
アルファベット表記にして識字率は上がったものの、アラビア文字が読めなくなり、イスラム法学などの伝統的学問が弱くなってしまったのが熱心なムスリムやイスラム主義政権であるエルドアン大統領の悩みだったそうです。(この内藤正典先生の本の受け売り↓)
エルドアン大統領は、シリア内戦で亡命せざるを得なくなったシリア人のイスラム法学者を多数招聘してトルコ国内のアラビア語・イスラーム研究の再興を図っているとか。
イスタンブールのグラン・バザールで撮影されたINNAのMV↓
トルコ人男性の人垣がすごい😂
トルコのインナ人気のすごいところは、ナショナリズムとルーマニア人歌手インナの人気が両立するところですよね。
インナ自身がトルコのナショナリズムに同化しているというか、トルコ人/ルーマニア人っていう境がなくなってる感じがする。
アラブから遠く離れたフィリピンやウイグルだけでなく、元々アラブ圏だったトルコでも、
がセットで起こるというのは
というか、
アラブ・イスラーム学院の陰謀(?)は陰謀というよりも必然なのかなという気がして興味深いです。
INNA「インナ人気はトルコのオスマン化の象徴?」
Blogの応援して頂けると嬉しいです→💗